□コンテストと写真展
写真表現は、行為にしたがって分類すれば、「撮影」と「選択」そして「見せ方」によって成立している、とぼくは考えている。撮影はカメラマンでも、それ以降の行為が本人でない写真表現を見るときは注意が必要だ。
ところで、コンテストはいつの時も流行っている。入選結果を眺めていると、入選傾向に"一発芸"的な写真が多いのではないかと思うときがある。コンテスト一般を快く感じない点だ。加えて言うと、応募作品は、審査員の「選択」でふるいにかけられ、コンテストといえども結局は審査員の表現へと変わっていく。
もうひとつ。世界の人々に影響を与えた多くの写真家がいる。写真家たちから何かを得たいとは思う。しかしぼくは写真展となるとあまり行かない。撮影は写真家でも、「選択」そして「見せ方」を第三者の主催者が行なっていると、写真表現としてはもはや他者による表現である。本人不在のまま、特に客引きを意識した、写真家の体温とずれた写真表現にはなりはしないだろうか。
写真家、藤原新也さんは写真展において、展示場の"見せ方"にも手を抜かない姿が雑誌で紹介されていた。写真集も仕上がりまで立ち会うという。「撮影」と「選択」そして「見せ方」を通じて、本人の写真表現を受け止めることが可能となる。
ひるがえって、自分の写真を眺める。そこには"一発芸"的なひとをちょっと驚かせるようなおもしろい写真はない。写真は、自分の"体質"から遠く離れたものは撮れない。しかし見せ方までぼくの手作りではある。そっけない見せ方もあろうが、ホームページでの展開を考えていく。みなさんには、安心して見てもらいたい。ただ見てもらえるだけでうれしい。(2008.10.12)
写真を多く使う雑誌のサイトを見つけました。参考までに紹介します。
(外部へ)グラフ文化誌「風の旅人」
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□画材の違い
友人が写真プログを始めている。カメラは何かと思ったら、携帯電話。携帯電話のカメラは高性能とは言えないが、それでないと撮れない写真がある。構図を整えた見やすい写真を撮っている。
注目の若手写真家、梅佳代の愛機はフィルムのキャノン。撮影モードは意外にもP(プログラム)モードだそうだ。
乗鞍岳に登ったとき高山植物を撮る多くのアマチュアカメラマンの姿を見た。意外なのはデジタルカメラを使う人がいなかったこと。世代がフィルムなのだろう。
清里フォトアートミュージアムで井津建郎「ブータン 内なる聖地」が2009年1月25日(日)まで開催されている。プラチナを感光剤に使ったフィルムで撮影されたモノクロ写真は、中間色や階調がきめ細かく美しい。そのためには山岳地帯に100キログラム近い機材を運ぶのだという。
さて、最近ぼくはフィルムも使っており、デジタルと併用である。デジタルとフィルム、どちらが優れているかではない。絵で言えば、筆や絵の具などの画材の違いであり、使いわけがねらいである。
(2008.9.23)
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□教えてくれるひとを探す
写真サイトを公開していることから、時折写真の撮り方をたずねられることがある。写真を上達したいと願うひとは少なくないのだろう。ぼくもそんな手伝いができるのであれば、何かしてみたいとは思う。
教えるといっても、とかくひとは誤りを見つけて、その指摘で終始することになりやすい。作り上げたものを毎度直されていては、元気な気分でいられない。なにごとにも教え方にはコツがある。良いところにも触れ励ますことが肝心だ。学ぼうとするひとはそういうことができるひとを見つけるようにしたら良い。
ところで写真家、荒木経惟にとって写真を撮ることは情事であると言っている。ピアニスト、グレン・グールドも演奏は情事であると、同じようなことを言っている。表現することは、自身の"本能のそばにあるもの"に触れることに違いない。
うまいと人に思わせる写真を撮ることだけが写真の楽しみではない。それだけになると行き詰まる。自分にとり写真の楽しさとは何か。それを見つけていくことが写真を続けていくうえで大切と思う。
(2008.5.18)
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□自転車
自転車は撮影時の欠かせない道具のひとつである。光が丘公園の四季を楽しみながら自転車で移動する。前かごにバッグを入れ、カメラの出し入れをする。それがぼくの撮影スタイルだ。
観察力と想像力。それらが豊かになれば、もっと良い写真が生まれる。テクニックはそのあとで良い。
自転車で町々を走る。発見がある。楽しみの中で観察力を磨いていく。
さて、注油など手入れ不要のベルト式の自転車に乗っていたが、肝心のギアが故障してしまった。買い替えは避けたかったが、故障に強いチェーン式の自転車にすることとした。自転車くらい、すべての部品が交換可能であれば、使えるパーツを残した自転車を廃車せずに済むのにと思う。(2008.5.12)
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□サイト運営
ぼくのサイトは都立光が丘公園を主題とした写真サイトで、とてもローカルな地域を写している。振り返ると、"光が丘"というタイトルなのに、それ以外のコンテンツが紙幅を増やしていることに気づく。ホームページの運営は書き足しを繰り返すことであり、その時々のことを記す個人サイトは、意図してもしなくても日記に近づいていく。コンテンツはいわば作者の人生の軌跡を表現している。始めた当時は考えもしなかったが、それで良いと今は思う。ぼくにとってはサイトにかかわることは日々を有意義なもとするきっかけになっている。(2008.4.22)
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